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ケン・ジョンソン(Kenneth Travis Johnson 、1933年6月16日 - 2015年11月21日)は、主に1960年代に活躍したアメリカメジャーリーグの元野球選手。ポジションは投手。フロリダ州ウェストパームビーチ生まれ。右投げ右打ち。主にヒューストン・コルト45's(現アストロズ)とアトランタ・ブレーブスで活躍、ただ一人の「完投ノーヒッターを達成しながら敗戦した投手」〔無安打試合での敗戦は、1967年4月30日のデトロイト・タイガース対ボルチモア・オリオールズ戦で、オリオールズのスティーブ・バーバー(8回2/3)とステュ・ミラー(1/3回)の継投での達成例がある。〕である。 ==経歴== 1952年にフィラデルフィア・アスレチックスに入団し、メジャー初登板はプロ入りから7年目の1958年9月だった。1960年シーズンはメジャーで42試合に登板したものの、翌年シーズン中にシンシナティ・レッズに放出される。同年はワールドシリーズにも登板し2/3回を投げている。 1962年に創設されたばかりのヒューストン・コルト45'sに入団し、1965年シーズン半ばまで先発投手をつとめたが、誕生したての球団だったこともあり、在籍時は負け数が先行する成績だった。そんな中、1964年4月23日の対シンシナティ・レッズとの試合に先発したジョンソンは、相手レッズのジョー・ナックスホールとの投げあいを演じる。しかし9回一死の場面で、ピート・ローズがジョンソン自身のエラーで二塁に進んだ後、内野ゴロで三塁に達し、次打者ヴェーダ・ピンソンの打球を二塁手のネリー・フォックスがエラーし、ローズを生還させてしまった。ジョンソンは次の打者をフライに打ち取り9回をノーヒットで投げきったが、味方打線はナックスホールの前に5安打の完封負け。この試合の翌週、ジョンソンは当時のTV番組『I've Got a Secret』〔同番組は、「私の秘密」という題でNHK総合テレビが日本語版を製作した当時のアメリカの人気番組である。〕に、『今年の最も悲しい話』という題材で出演することになった。 1965年シーズン中にブレーブスに移籍した後は勝ち星が先行するようになり、1966年には14勝8敗、翌1967年には13勝9敗の成績を残した。1969年はブレーブス、ヤンキース、カブスとシーズン中に3球団を渡り歩き、同年通算1000奪三振を達成。1970年のエクスポズを最後にメジャーリーグから引退した。 2015年11月21日、腎臓の感染症が原因で逝去したことを家族が明らかにした。享年82〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ケン・ジョンソン (右投手)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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